2018.09.16
『回転草』×『眼がスクリーンになるとき』刊行記念トークイベント ——書くひとと書かれたひとは書かれたもののなかで手をつなげるか?——
【イベント内容】
大前粟生と福尾匠、ともに92年生まれのふたりが先ごろ単著を刊行した。『回転草』(書肆侃侃房)と『眼がスクリーンになるとき ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』』(フィルムアート社)。一方は短編小説集、他方はドゥルーズの『シネマ』の解説書であり、ふたりのフィールドはまったく異なっている。しかしそれだけに「書くこと」をめぐる本質的な議論が交わされるだろう。
たとえば大前の小説には実在の人物が頻出し、あるいは無機物が人格を持たされる。表題作の「回転草」に顕著なように、彼の作品において人物はいつも自身を役として「演じている」ように見える。福尾は『シネマ』をひもとくが、そのときつねにドゥルーズがベルクソンをどう読んでいるのかという問いがセットになっており、読解は二重化される。
両者において、著者−テクスト−書かれたひと(登場人物、べつの著者)のあいだでそれぞれどのような交流がなされているのだろうか。あるいはそうした交流が作品を結実させている、もっと強く言えば交流自体が作品であるとして、彼らが作る回路はどこに出口を見出すのだろうか。
そして今回のイベントで司会をつとめる批評家、黒嵜想は『アーギュメンツ#2』(2017年)で福尾の、『アーギュメンツ#3』(2018年)で大前の文章の編集に携わった経験をもつ。彼自身も書き手として「声」と人格の関係を一貫して主題としており、ふたりを交差させるマスター・オブ・セレモニーとしてこれ以上なく適役だろう。
なお会場では『回転草』と『眼がスクリーンになるとき』、そして『アーギュメンツ』各号を販売する。
【登壇者】
大前粟生、福尾匠、黒嵜想(司会)
【日時】
10月7日(日)18:00〜20:0(開場17:45)
【場所】
出町座3F 〒602-0823 京都市上京区三芳町133
◆ 出町柳駅(京阪、叡山電鉄始発駅)徒歩5分
◆ 今出川駅(京都市営地下鉄)徒歩10分
https://demachiza.com/access
【参加費】
1500円(*定員40名、要予約)
【申込方法】
下記メールアドレスにメールし予約する。
件名を「回転草×眼がスク」とし、本文に予約者氏名と電話番号、同伴者がいる場合はその人数を記す。
aya.imamu@gmail.com
*企画内容、ご参加方法に関しては上記お問い合わせアドレスまでお願いします。
出町座へのお電話でのお問い合わせはお控えください。
【登壇者プロフィール】
大前 粟生(おおまえ・あお)
1992年兵庫県生まれ。京都市在住。
2016年、「彼女をバスタブにいれて燃やす」がGRANTA JAPAN with 早稲田文学公募プロジェクト最優秀作に選出され小説家デビュー。著書に短編集『のけものどもの』(惑星と口笛ブックス)。『回転草』(書肆侃侃房)。最近では『アーギュメンツ』#3に「断崖」が掲載。
福尾 匠(ふくお・たくみ)
1992年岡山県生まれ。横浜国立大学博士後期課程在籍。専門は現代フランス哲学、芸術学、映像論。著書に『眼がスクリーンになるとき:ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』』(フィルムアート社、2018年)、論文に「映像を歩かせる:佐々木友輔『土瀝青 asphalt』および「揺動メディア論」論」(『アーギュメンツ#2』、2017年)がある。
黒嵜 想(くろさき・そう)
1988年生まれ。批評家。音声論を中心的な主題とし、批評誌の編集やイベント企画など多様な評論活動を自主的に展開している。活動弁士・片岡一郎氏による無声映画説明会「シアター13」企画のほか、声優論『仮声のマスク』(『アーギュメンツ』連載)、Vtuber論を『ユリイカ』2018年7月号(青土社)に寄稿。『アーギュメンツ#2』では編集長、『アーギュメンツ#3』では仲山ひふみと共同編集を務めた。